漂着物学会 設立趣意書
「漂着物」とは、海岸に打ち寄せられるもので、その大部分は塵芥です。
しかし、その中には海流や風の影響を受けながら異国や海底から寄せられて来るものもあり、それは動・植物から歴史・民俗まで種々の内容を包含しています。
日本で、この漂着物にいち早く注目したのは、民俗学の巨人柳田国男でした。彼は、1952年(昭和27年)、78歳の時『海上の道』を世に出しましたが、その著書の発端は、柳田がまだ東大生の時に三河・伊良湖岬に漂着した椰子の実を拾った事にありました。
日本列島は四面環海です。海岸の総延長は3万2779キロあり、世界有数の海岸線を誇る国です。しかも、列島にはフィリピン付近を出発とする黒潮(日本海流)と、その分流対馬海流がはさむように北流し、北からは千島海流とリマン海流が南下しています。
この「海上の道」ともいうべき海流と、季節風を媒体として、日本列島には漂着物が極めて多く、またそれとのかかわりは、人々が住みついて以来、生活に欠かすことのできない大きな比重を占めていたのです。
時化た後に、浜へ打ち上げられる魚介や海藻・流木などを拾う行為は、最近まで「浜あるき」「灘ばしり」という漂着物を求めて歩く習慣として残り、それはとりもなおさず古代から脈々と続いてきた沿岸民の姿でもありました。漂着物は沿岸民に恵みを与え、また珍奇な物や海に洗われた姿は神や仏として崇められたりもしました。そして、巨大な材は建築にあてられもし、やがて自由な採取から、規則や制限を受けたりもしました。
漂着物の魅力は「どのようなものが寄せられるか」という、未知への期待が極めて強いのが特徴です。また、遥かな異境から寄せられてくる「限りないロマン」も持っています。
今日、漂着物は生活から離れて、例えばヤシの実のようにロマンの部分に比重が置かれていますが、単にロマンの世界だけでなく、広域な沿岸を持つ我が国では、海の未知の部分を解明する役割を担っているとも言えるでしょう。そして、大切な環境問題も忘れてはいけません。
今まで分散的であった海に関する情報を一本にして、多くの目や情報により、あらゆる角度から検討を加えていくことができるならばと思います。
この会は、色々な関心や研究を一定の枠の中にはめ込むのではなく、詩的ロマンを追うもよし、古老の話から漂着の民俗を求めたり、動・植物から追求されてもよく「漂着物学会」は、あらゆる分野を網羅した自由な会であればと願います。そして、子どもから大人まで気軽に海や漂着物との対話ができ、その中から「科学の目」も育っていくならばと思います。
私達は、素朴な疑問と平凡な積み重ねを大事にして、幅広く多くの同志を募りこの会を設立したいと考えています。21世紀を迎え、まさに「潮もかないぬ、今こぎいでな」です。
2001年7月8日
(発起人)石井 忠・中西弘樹・嶋村 博・小島あずさ・藤枝 繁・安松貞夫・京馬伸子・松本敏郎